抑鬱亭日乘

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2003年6月 2003年6月30日(月)

キャサリン・ヘプバーン

薄くくもりて風凉し。アマゾンより本二册屆くも何れも旣に書筐にあるものなり。J病院Oさんより電話あり、聲の弱きこと蚊の鳴くが如し。耳を欹てるにわたしのいのちは大切なものでせうかと聞えたるなり。大切に極つてゐるぢやありませんか、散步でもして外の空氣を吸つたらどうですと勸めたり。直にふたゞび電話あり、先程は失禮しました、惱むのは止めますといふ聲打つて變つて明るし。午下四軒家Iさん薄靑の着物姿にて來訪す。和裝を拜見するは二度目なり。昨夕の沖繩土產紅イモのサーターアンダギーを茶請けに笑語、牧之原の新茶を贈る。手ぶらで來たので御禮ですと首肩を揉み治療さる。力加減の絕妙なること玄人はだしなれば資格ありやなしやと訊ねるに、獨學にて十五年培ひたる由なり。三時辭去さる。S氏の模擬試驗問題を作成す。キャサリン・ヘプバーン歿す。『赤ちやん敎育』のコメディエンヌぶりは狂氣の沙汰なり。余の知るかぎり是を凌駕するは『ヒズ・ガール・フライデー』のロザリンド・ラッセルを擱てほかになし。享年九六。東日本フェリーの計營惡化し自主再建斷念しぬ。大竹しのぶモスクワ國際映畫祭にて最優秀主演女優賞受賞せり。エル・パイス紙面に始て Shinobu Otake の文字揭載されたり。グランプリの西伊合作映畫『素晴しき光』はロルカの架空の傳記なり。是日雀の仔書齋の窗邊に來りて欄干に留り居たること頻なり。

2003年6月29日(日)

卒業生

晏起十時に近し。天氣牢晴、涼風颯々暑氣甚だしからず。塵を拂ひ書筐を整理す。三時卒業生四名來訪。過日石垣島を旅せしIさん土產にシーサーの置物を贈らる。Sさん笑みを浮かべ寡默なること例の如し。Hさん在學時より錦のスナックに勤め今日に至れり。景氣を問ふによくありませんと荅へたりしかど、心付を惠む客尠からずあり、過日空氣淸淨機を山ほど購ひ一家眷屬に贈りたりといふ。Oさん余とは殆初對面なれど直に打解け世にいふ天然呆けを連發せり。始めて墨西哥玖馬滯在當時の亊を語り聞かされたり。いづれも美人になりぬ。笑語二時間、夕刻本郷ダリに河岸を變へ夕餉をなす。今宵の獻立はハモン・セラーノ、人參のサラダ、ガスパチヨ、鰯のマリネ、鱈のバスク風ポトフ、イカ墨のパエリヤなり。葡萄酒によき心持となるにつれ四人の話は空前絕後の樣相を呈したり。サングリアとガスパチョの西班牙料理なるを知らぬ者あり、ハヾナはパナマ運河の近くでせうといふ者あり、コウノトリは架空の鳥だと思つてゐましたといふ者あり、永井荷風の代表作は『蒲團』ですといふ者あり。荷風先生是を聞かば卒倒するべし。日曜の晚にめづらしく晚餐に來るもの尠し。料理長ペドロ來りていふに、店の主頁を開設せんと欲す、ついては設計の興味ありやなしやといふ。興味はあれど趣味の域を出でず、專門家に依賴するが得策ならむ、然れど余にできることあらば手傳ふに吝かならずと荅へたり。客足落ちたらむや。店も日々知らぬ間に變り行くこと頗急なれば茲に記載して備忘となす。九時半本郷驛にて別れ二更歸宅。鄰家の駐車塲にて花火に興ず父子あり。

2003年6月28日(土)

淫雨

雨ふりしきりて歇まず。模試添削し藁を草せば忽ち日は晡なりぬ。在線ラヂオにてラヂオビバリー晝ズ、荒川强啓デイキヤツチ、伊集院光深夜の馬鹿力、やる氣MANMAN抔聽く。

2003年6月27日(金)

笑ひ死に

隂。深更枕頭NHK衞星第二にて「ロビン・ウィリアムス自らを語る」を看るに抱腹絕倒一時間半に及び呼吸困難に陷る。制作統括ジェームズ・リプトンの司會いつみても見事なり。六時半レモンの囀りに眠をやぶらること日課の如し。舊稾整理、模擬試驗作成、讀書の中に半日を消す。郵便局員と笑語、先週訪れしインドの寫眞アルバムを貸與さる。晡下實家に徃く。母上てこね壽司に挑戰せり。出來映え好し。歸途につくに風雨沛然たり。新聞紙の報ずるに「濹東綺譚」の淸書原藁、來月二十日神田古書會館にて競賣にかけらるといふ。最低入札金額三千萬圓なり。伯林のらせん舘より封書屆く。マイアミ國際ヒスパニック演劇祭パンフレット、劇評などあり。

2003年6月26日(木)

茶盡し

薄く晴れてまた曇る。九時實家に徃きローレルにて父上母上を靜岡に誘ふ。今週の東名高速は豐川附邊にて大事故二度起こりぬ。今日も袋井の東にて事故處理澁滯あり。相良牧之原ICの表示を見落し吉田にて下り線に乘換へ、グリンピア牧之原に着けば正午なり。沿道見渡す限り茶畑なり。新綠目にまぶし。鶯頻りに鳥語す。園内味處丸尾原の座敷にて晝餉に朝比奈原御膳を食す。平日ゆゑならんや、ほかに客なし。獻立は茶そば、茶の新芽と海老と椎茸の天ぷらと櫻海老の掻揚げ、茶の佃煮、茶飯なり。抹茶の天鹽にて食す天ぷら味佳なり。鮪、海老、いかの刺身いづれも鮮度頗るよし。デザートに抹茶のアイスクリームを食す。綠茶の風味濃厚なり。茶盡し料理を食せば暫し喫煙を欲さゞること四年前と同じなり。余の好物は佃煮なり。製茶の工程を見學せむと工塲に入れど塲内に燈りなく、片隅の機械の茶を揉むのみなり。販賣所にて新茶と羊羹饅頭抔購ふ。歸途御前崎燈臺に立寄り遠州灘を望む。天氣牢晴、波高し。海面の色調濃淡あざやかなり。ウインドサーフインに興ずる者あり。37號線にて菊川に出で高速に乘る。縣境にさしかゝりたるころ驟雨來れど須臾にして歇む。五時父上母上を實家に送り歸宅。八代駿歿す。「トムとジェリー」吹替へ版のトムの聲なり。

2003年6月25日(水)

Blog

空どんよりとくもりて雨糠の如し。終日讀書。小島貞二と名古屋章の訃報に接す。News Collector にて Blog を始める。

2003年6月24日(火)

著作權

雨來りてはまた歇む。讀書執筆例の如し。フローベール『紋切型辭典』をよむ。大學出版會請求書送來る。夕刻雨の小止みを幸に主治醫の診察を乞ひ、藥屋を出るに大に雨ふる。歸途車のラヂオに琴のタンゴ演奏を聽く。過日改正著作權法成立す。著作者に他人の著作の複製飜案ならざるを立證せしめるとのことなり。フローベール是を聞かば一笑に付さむべし。亞米利加に於てはパトリオツト法成立し、怪しき人物の逮捕とDNA標本採收容易になりぬ。新聞紙は默然として何等の言論もなさず。

2003年6月23日(月)

頭痛

雨また降り出して終日晴れず。今年の黴雨ほど雨多きは罕なり。輕き頭痛催す。在線ラヂオにて西班牙國營放送第一チヤンネルを聽き舊稾整理し讀書すること日課の如し。やまとの湯に浴す。軒下に燕の巢あり、仔燕數羽小さき首を出し喇叭の如く口を熾に開きゐたり。露天風呂にてマツチヨをぢさんに逢ふ。夏の一日はかくて暮れたり。在線ラヂオにて「ラヂオビバリー晝ズ」と「伊集院光 深夜のバカヂカラ」先週分を聽く。

2003年6月22日(日)

夏至

晏起旣に午に近し。曇りて暗し。今年も早や夏至なり。記すべきことなし。新國立美術展示施設の名稱國立新美術館に決りぬ。無粹此に極れり。文化廳發表を讀むに「獨立行政法人國立美術館の一組織となるため、旣設の4美術館との竝びから『國立○○美術館』とすることゝし、旣存の美術館にはない『新たな機能を持つ』といふ館の特色を表す意味の言葉から『新』を館名に盛り込んだ」といふ。旣設施設との竝びを慮らば名稱公募の必要なし。設立準備委員會座長は平山郁夫なり。サイトウ・キネン・フェスティバル松本入塲券卽日完賣す。

2003年6月21日(土)

equality と uniformity

空晴れ渡りぬ。Oさん封書を送來る。午下アルファロフトにK氏を訪ひエンジンの檢査を請ふ。異常なきやうなり。午睡し晡下實家に夕餉をなす。初更歸宅す。昨夕武藏野市延命寺にて柳昇告別式催さる。出棺時昇太トロンボーンにて消燈喇叭を吹きたる由なり。『新潮45』に廣島縣敎育界の取材記事を讀む。府中市内の小學校は今年に至るまで三十餘年兒童に敎科書を家に持歸る亊及びランドセルの使用を禁じたりし由なり。學力差の生ずるを避けんがため亦ランドセルの購入能はざる家庭を慮りてのことなりと云ふ。樣子を見るに縣敎職員組合、縣高等學校敎職員組合、部落解放同盟廣島縣聯合會の團結ぶり岩の如し、右翼と隱然聯絡あり。相次ぐ校長の自害をめぐりて宮沢喜一も過去四十年リンチに遭ひ失職せし敎員數多ありと證言したる由なり。 equality と uniformity を取違へるはわが國の舊獘なり。余の知人にして事情にあかるき人はF君のみなり。イチロー五打數三安打、打率三割五分に達す。

2003年6月20日(金)

WATARIDORI

睡より寤むれば七時なり。曇りて蒸暑し。プエルトリコ國際演劇祭實行委員長D氏より來書あり。財政逼迫ゆゑ遠國よりの渡航費負擔すること能はず殘念至極なりといふ。査證の下りるは招聘團體のみにして出入國管理は亞米利加の管轄なればらせん舘嶋田氏今年の參加を見送らる。ラモス=ペレア氏の書に接したれば直に返書を送る。アムアーツ代表O氏より來書あり。十時父上母上を誘ひて三好に徃き『WATARIDORI』を看る。名古屋は今日が最終日なり。客尠し。老親居睡りせむやと懼れたれど杞憂に終りたり。母上撮影者の勞に感嘆すること頻りなり。渡り鳥の方角を察するは太陽と星辰と磁塲によりてなりと字幕にありしかど、父上星は位置を變れば賴りにならざりと主張して讓らず。三時歸宅す。新聞紙を讀むにトーマス・ノボラツスキーの新國立劇塲次期藝術監督就任、劇塲相談役栗林義信二期會理事長ら反對し正式決定延期さる由を知る。昨夕武藏野市延命寺にて柳昇の通夜あり。笑福亭鶴光を東京へ招ぎたるは柳昇の計らひなるを知る。戒名春風院安樂柳昇居士。

2003年6月19日(木)

睡魔

久雨纔に霽れ終日雨滴の響を聞かず。新聞紙にデヴィッド・ベッカムのレアル・マドリード移籍の報を讀み、直にJスパ!表紙原藁を訂正す。本郵送の中に半日を消しぬ。睡魔襲來り二時午睡。

2003年6月18日(水)

古田とリナーレス

霖雨歇みてはまた降る。郵便局にて用事を辨じ囘轉壽司屋にて晝餉をなす。劇團らせん舘嶋田氏より來書あり、マイアミ國際ヒスパニツク演劇祭公演了、獨逸に在りといふ。『エル・ヌエボ・ヘラルド』紙に劇評揭載さる。絕讚といふべし。直に譯出し揭示板に公開、嶋田氏に返書を送る。午睡。晡時實家に徃き四時過父上母上と地下鐵東山線に乘り榮に出で名城線にてナゴヤドームに徃く。初老の男性藤が丘驛にて父上に一日乘車券を讓らる。中日ヤクルト戰なり。母上古田敦也のフアンなればデジタルカメラにて撮影すること頻りなり。今宵のヤクルトは打線貧弱、ひとり古田が二壘打二本安打一本を放ちて一點を返すが精一杯なり。中日のクルーズ本壘打を含む二安打で五點を取る。代打リナーレスの左翼前安打鮮烈なり。余は大學院にて學びし頃讀賣巨人軍がリナーレスを獲得せむとて通譯の依賴を受けしことありしかど繁忙を極めたれば辭退しぬ。八囘裏終了し古田の最終打席を見屆け早々に球塲を去る。三年前ナゴヤドームにてイチローの雄姿を拜みたるは余の退院直後なり。今日の觀戰もは病後の父上の社會復歸を兼ねたり。我が家の野球觀戰は病人の氣散じといふべし。二更家にかへる。雨漸く歇みぬ。余は梅雨の黴びるが如き匂ひをかぐ時は何となく人跡絕えたる山間の幽逕を步むが如き心地す。嶋田氏の書にふたゝび接す。九月プエルトリコにて『サンチョ・パンサ』を上演する由なり。奇遇といふほかなし。

2003年6月17日(火)

喫茶マウンテン

雲の行來につれて雨濺來りてはまた歇む。重虎さんを伴ひ三郷やまとの湯に徃く。白山通に阿武松(おうのまつ)部屋の幟林立す。今年も名古屋塲所の季節となりぬ。タニマチ細谷工業向ひの畑地均しの最中なり。露天風呂に漬る重虎さん『マトリツクス』の胎兒カプセルにて目覺めるキアヌ・リーヴスの如し。或は海坊主の如しといふべきや。一旦抑鬱亭にかへり午下ふたゝび車にて平和公園を拔け本山より山手通を下りて瀧川町の喫茶マウンテンに徃く。奇々怪々暗黑料理の殿堂なれば五年前より噂に聞きしかど今日に至るまで登攀する勇氣なかりけり。駐車塲に車三臺停りゐたるをみて恐怖心少しく和らぎたれど、營業中と朱色に大書されたるトタンの看板の朽果てたるさまおどろ/\し。駐車塲脇にサボテン畑のあるも奇妙なり。中に入れば薄暗く名狀しがたき臭氣を感ず。奧のテーブルに坐る。鄰席の男性二名山の如き麵に喰らひついてゐたり。南山大學の學生なるべし。大皿にうどんより太きパスタの山脉をなし頂上に白きクリーム狀のソースのどろりとかゝりゐたるをみて輕い眩暈を覺ゆ。メニューをみるに、スパゲティにホワイトソース、和風、甘口、スープ、ワンコイン、トマトベースなど數種の大分類あり、其々カルボエッグ、なべスパ、燒きスパ、甘口メロンスパ、おしるこスパ抔空前絕後の小分類數多あり。うどん風カレースパとはなんぞや。サボテンスパとはなんぞや。サボテン畑の食用の由なるを知り驚愕す。ナスみそミートスパ、玉子とじスパ、ツナカレークリームスパは一讀吐氣を催す。甘口メロンスパには溫められしメロンの刻みたるものゝ添へらるゝ由なり。窮めつきは甘口抹茶小倉スパなり。抹茶入太麵は靑きミヽズの如し、其上に小倉餡と生クリームの親の仇とばかりに山に盛らるゝは目の拷問なり。重虎さんはペヾロンチーノライス(タコ・イカ入り)、余は高菜ピラフを注文す。給仕の女佛頂面にて愛想のかけらもなし。皿の巨大さいづれも法外なればテーブルに竝べること能はず、量は悠に三人前はあり。高菜ピラフの赤色をなしたるは何ゆゑなるや。ピラフなれど飯は處々團子狀をなし油まみれなれば燒き飯といふよりほかなし。怪しき化學調味料の味口中に廣がり氣分わろし。學生客三名來りて鄰に坐り談ずるをきくに「鍋はやめとけ」といふ聲聞ゆ。是店のスープスパゲティは深き土鍋にて供さる由なり。ゴーヤとウコンのジュース、イカスミジュースの在

2003年6月16日(月)

ターコさん

曇りて暗し、午に至り大に雨ふる。五時半レモンの囀りに起き出で籠より放ちてふたゝび橫臥、九時起牀。重虎さんを伴ひ長久手溫泉ござらつせに浴す。午下ターコさん牛車にて訪來る。唐衣裳裝束艷やかなり。レモンもイブニングドレスを纏ひて美を競へり。笑語二時間、茶房木曜日に河岸を移して宗敎法人設立計畫を練り、晡下抑鬱亭にかへる。黃昏ターコさんのお供數名を從へ屋敷にかへるを見送り、重虎さんを實家に招ぎて夕餉をなす。折よく屆きし尾岱沼產しま海老に舌鼓を打てり。父上重虎さん九州の食文化と古墳史を論じれば話止らず、重虎さんは在野の古代史硏究の泰斗といふべし。二更歸宅、深夜寐に就く。

2003年6月15日(日)

重虎さん

くもりて時ゝ小雨あり。長久手溫泉ござらつせに徃く、歸り來れば早や晝飯時なり。原藁執筆昨日の如し。晡時一睡、六時半藤が丘驛に徃き重虎さんを迎ふ。帽子から靴まで全身黑盡くめなり。福岡より伊丹に飛び難波に宿し、新幹線にて名古屋に來りし由なり。倶に實家にて夕餉をなす。父上と古墳史をめぐりて談論風發、終れば夜は早くも二更にならむとす。車にて抑鬱亭にかへり款語三更に及ぶ。

2003年6月14日(土)

睡魔

どんよりと曇りて午後疎雨。午前四時就寢七時起牀昨日の如し。名大出版會より本屆く。舊稾整理忽ち半日を消す。晡下一睡、薄暮實家に徃き夕餉をなす。睡魔に抗へず茶をすゝりてかへる。今宵滿月なれど厚き雲に覆はれぬ。津市にて小津安二郎生誕百年記念行事、三重映畫フェスティバル2003開幕す。

2003年6月13日(金)

グレゴリー・ペック

隂雨冥々、蒸暑し。鄰家の庭を窺見るに梔小花雪よりも白く石榴の花燃るが如し。終日執筆讀書。午睡より寤むれば日は旣に沒しぬ。雲間の小望月明媚なり。グレゴリー・ペックの訃報に接す。カラーフィルムの保存狀態劣惡なれば白黑映畫の俳優は幸ひなり。小島章司氏より來書あり、バルセローナに在りとのことなり。昨夜深更學部後輩のN氏より空谷の跫音あり、十餘年ぶりなるべし。

2003年6月12日(木)

パンテオン

曇りて折々薄き日影さしたり、午後疎雨來るも須臾にして歇む。早朝演出家協會W氏より來書あり、劇團ロス・アンデスのT氏に書を送る。終日机に向ひ草稾十枚ほど書き得たり。黃昏くまざわ書店に徃き文庫本を購ひ、園藝店に立寄りてハイドロカルチャーのサンデリアーナを一鉢購ふ。過日購入せしアイビーはレモンの餌食と化しぬ。薄暮歸宅す。西宮H氏の書に接す。獨居の母君癡呆進みたれば醫師の奬めに從ひ入院させたる由、厄介拂ひをしたやうで申し譯無く無力さが辛くて淚がとまりませんと云ふ。返書を送りたれば直に返事あり、お手紙でこんな私をも支へやうとしてくださる方がいらつしやるかと思ふとまた泣ひてしまひましたと云ふ。是日は缺勤したる由なり。胸中察するに餘りあり。個人情報保護法案につゞき先週末有事法制關連三法可決されぬ。胡亂なること甚だし。新聞紙を讀むに澁谷東急文化會館月末に閉館さるゝ由なり。最後の70ミリ上映館パンテオンの閉鎖惜しむべし。

2003年6月11日(水)

權太樓

薄く晴れたり。午前藁をつくる。演出者協會W氏より電話あり、ボリビアの劇團ロス・アンデスのワークシヨツプ通譯を依賴さる。午後郵便局に徃き用事を辨じ理髮舖に立寄り三郷やまとの湯露天風呂に浴す。夕刻歸る。SSwebにて落語數席を聽く。昨年十月二十五日鈴本演藝塲夜の部トリの柳家喬太郎『純情日記橫濱編』は何度聽いても佳し。同年四月二十日鈴本演藝塲夜の部トリの三遊亭白鳥『マキシム・ド・呑兵衞』は奇想に淫したり。立川談春の『厩火事』は女房の造形巧みなり。今宵の收獲は柳家權太樓なり。平成十二年八月十七日鈴本演藝塲夜の部トリの『佃祭』、十一年十一月二十二日晝の部トリの『代書屋』、何れもフラあり。

2003年6月10日(火)

入梅

空くもりて風あれど蒸暑し。午前主治醫の診察を請ふ。春より睡魔度々襲來る所以を問ふに、病狀のためなるや藥の催眠效果のためなるや判然とせざれば愼重を期し暫く樣子をみたまへと云はる。深切謝するに辭なし。歸宅し机に凭りて執筆。マンシヨン入口揭示板にピツキングに注意と管理人の書きたる紙あり。各戶の表札に○△×の記號を附す不審者ある由なり。幸ひにして抑鬱亭の樣子を窺ふ者なし。あらば餘程の奇人變人なるべし。何れにせよ不快極まりなし。三時に至りて睡魔に抗へず午睡、レモン片時も余の傍をはなれず。燈刻雨の濺來るあり。入梅なるべし。囘轉壽司屋Gにて夕餉をなす。獻立表にオム壽司、ハンバーグ壽司、海老フライ卷抔面妖なるもの多きは名古屋獨自なるや。晚間飯塚W氏より電話あり。用件は來週の來訪につきてなり。

2003年6月9日(月)

WATARIDORI

隂晴定まらず風濕氣を含みて暑し。午前三好MOVIXにてジャック・ペラン監督の『WATARIDORI』を看る。キョクアジサシの北極と南極を往復するさま驚異といふほかなし。世界に謎はなし、世界の在るが唯一の謎なり。長久手溫泉ござらつせ露天風呂に浴し歸宅す。新國立劇塲より譯書寄贈の禮狀屆く。午睡。レモン余の額と爪先を往復す。室内渡り鳥なり。夕刻NHK總合「いきもの地球紀行」の「美しく靑きドナウ」再放送を看る。ドナウデルタの面積釧路濕原の三十倍なる由、葦原の中に淸き湖あり、ペリカン數千羽營巢す。ドナウ川に建設されしダム旣に七十に達せんとし水質惡化の一途を辿りをりといふ。

2003年6月8日(日)

歸宅

晴れて暑し。早起氣分よし。熟睡をえたるはダブルベッドの故ならんや。荷物を受附に預けリブロ東池袋店内のカフェにて讀書。正午要町S氏宅へ徃く。父君孫のK君Hちゃんをあやし相好全面崩壞なり。S氏の車にて國立近代美術館へ徃き、テラスにて咖啡を喫し常設展示室の藤田嗣治自畫像をみる。フェアモントホテルに向ふも更地と化しマンション建設中なり。觀櫻の名所またひとつ失はれぬ。晡時新幹線にて東京を發つ。六時半實家にて夕餉をなす。レモン頗る元氣なり。土產話に父上淚を浮べたり。初更レモンを連れて歸宅す。半月好し。

2003年6月7日(土)

再會

不眠昨日の如し、黎明起き出て深川をあゆむ。製本印刷業者多し。高橋夜店通りを西に進み、のらくろーどを南に下りれば西深川橋なり。小名木川に燕の番舞ゐたり。十時ホテルを出で東池袋Aホテルに荷物を預け要町にS氏を訪ふ。Hちゃん生後二か月なれど視線に女の色香あり。K君三歲、余の贈りし『どろんこハリー』を暗誦す。昨今は電車に夢中の由なり。二時O夫妻來りて晝餉をなす。夫人の拜顏の榮に浴す。人品えもいはれず。O氏ヤマハのサイレントギターを持參し、亞爾然丁とバスクの歌曲を余と合唱す。十六年前の馬德里のアパートにて歌ひけり。S氏O氏と要町散策、安曇野にて蕎麥を食す。O氏忽ち顏面蒼白となり目の下に隈あらはれり、一週間繁忙を極めたる故ならんや胃痛堪へ難し由、蕎麦湯のみ啜りたり。O夫妻去り、S氏と喫茶店にて秋の計畫を練る。初更ホテルにかへる。

2003年6月6日(金)

プエルトリコ演劇講演會

輕隂。熟睡すること能はざりしを機とし、昧爽に起き出で書數通したゝむ。兩國驛みどりの窗口にて新幹線切符を購ひ綠圖書館に立寄り原藁を再讀す。二時午睡。五時半森下スタジオに徃きラモス氏と打合せをなす。六時半講演會。プエルトリコの米國領なるを知らぬ聽衆多く、歷史槪說と演劇史を論ずること二時間に及べり。舞臺記錄映像を紹介し質疑應答を經て九時終了す。セゾン財團より講演錄飜譯の依賴あり。參加者數名を伴ひ森下交叉點の居酒屋にて打上げをなす。更に通譯二時間半、料理を食すこと能はざりし。映像作家志望のIさんと款語す。協會O氏の話に、1999年岩波文庫版の『ベルナルダ・アルバの家』を上演せし折、臺詞をめぐりて譯者と喧嘩したる由。ラモス氏ウィリー氏と抱擁し再會を約して二更ホテルにかへる。

2003年6月5日(木)

ワークシヨツプ終了

晏眠十時におよぶ。空隈なく晴れわたりて涼風颯々たり。一時ワークシヨツプ。ラモス氏持病の腰痛惡化し昨夜は熟睡すること能はざりし由なり。アやオなど母音ひとつのみにて相手の全存在を包込む練習、ハムレツトの名高き獨白を相手に囁きて情念を傳へる訓練などありしが、中でも余の胸を打ちしは各自家より持來たりし寶物と意思の疎通をはかる練習なり。戀人と分ち合ひたりしチョコレイトの空き箱を持參する者あり、『踊る大搜査線』のDVDを持來る者もあり、最年長の女性の寶物は二十九歲の息子の臍の緖を收めし木箱なり。銘々寶物を椅子に置きて牀に坐し、まづ目を閉ぢて寶物の發する聲に耳を傾け、兩手で觸れ乍ら魂の交流をはかり、最終段階にいたりて各自寶物と會話をなしたり。臍の緖の女性の表情えもいはれず。舞臺上の大道具小道具抔總て物には魂あり、魂は神聖なれば如何なるオブジエにも同樣に接すべしとラモス氏說きたり。ウィリー氏のパントマイムの試演を披露す。巴里にてマルセル・マルソーの謦咳に接したる由なり。老人書筐より寫眞集を取出し半生を囘想、若き日の戀愛、從軍體驗など鮮やかに現出し參加者の哄笑と瞠目を獲たり。以後二人一組となり白人主人と黑人奴隸の役割練習をしたり。働かざる奴隸を主人が鞭にて打ち、つゞけて働き者の奴隸を主人がやはり鞭にて打ちたり。働き者を鞭打つ主人に明確な動機なく、奴隸は不當な扱ひに堪へること能はざれば自づから反抗を試みぬ。ラモス氏演じるなかれ感じるべしと繰返し說きたり。最良の演技者は演技する者ならず感じる者なりが持論なり。質疑應答を經て二日間の日程恙無く終了したり。一同集まりて記念撮影す。ラモス氏のみならず參加者に抱擁握手求めらるゝは望外の喜びなり。協會Y氏の話に、再來年ホーチミンにて木下順二『夕鶴』の飜譯上演計畫ある由なり。夕刻ホテルにかへり講演原藁を讀む。

2003年6月4日(水)

ワークシヨツプ初日

隂。久しくせざりし通譯の仕事をなしたるが故にや、熟睡すること能はざりたれど氣分わろからず。午前講演原藁を半分讀む。一時森下スタジオにてワークショップ催さる。若き俳優三十名參加す。五十代後半と思しき女性もあり。訓練の要諦は體内エネルギーを統べ四肢と目より發散することに在り。人心の尤も卑しく穢らはしき部分を腦裡にて生き物の形に視覺化し全身にて之を表現する訓練あり、頗る面白し。集中力を高める集團訓練としての效果大なるべし。質疑應答を經て五時終了。疎雨來りぬ。參加者數名と笑語しホテルへかへる。T大學H先生、W大學I先生より來書あり。I先生心勞多年に及び頭髮を失ひたる由。直に返書を送る。昏黑に至りて雨歇む。

2003年6月3日(火)

アヴァター

うすく曇りて蒸暑し。昧爽に起き出で旅裝をとゞのふ。午下父上母上車にて迎へに來らる。レモンを預け地下鐵にて名古屋驛へ徃く。十四時二十三分の新幹線にて名古屋を發し東京に向ふ。乘客幸にして輻湊せず。夕刻ホテルに荷を解き一服、兩國シアターXに徃く。ロビイにてピープルシアター演出家森井氏にラモス=ペレア氏を紹介さる。太鼓腹の巨漢なれど面持柔和、人柄溫厚なり。七時初演開幕、客席九分の入りなり。鄰席の演出家協會理亊K氏忽ち舩を漕出しぬ。主題に面白みあれど演出些冗長なり。イェシュア役二宮聰氏力演す。終演後ロビイにて客を交へて祝賀會催さる。ラモス=ペレア氏の祝辭を通譯し協會のS氏と明日の打合せをす。ラモス=ペレア氏赤葡萄酒を手に二宮氏とマグダラのマリア役小林香織氏を招ぎて讚 辭を惜しまず。プエルトリコにてカイジャンを演じしウィリー氏と款語、ロルカの『觀客』がパスクアルのミラノ初演に先んじて八十一二年にプエルトリコにて上演されたる由なり。二更ホテルにかへる。

2003年6月2日(月)

資料整理

晴れわたりて暑きこと初夏の如し。資料整理に半日を送る。新國立劇塲Hさんより來書あり、維新派公演につきてなり。早稻田I先生の書に接す。夕刻三郷やまとの湯露天風呂に浴す。夕陽燦然として新綠に映ず。門巷寂寞、若葉の夜風にそよぐ音しづかなり。二更飯塚W氏より電話あり、來月來訪せらる由。

2003年6月1日(日)

キムラタクヤ氏

四更寐に就き睡より寤むれば日は將に哺ならむとす。過眠の二日つゞくは珍しきことなり。大風一過空晴れわたれど疾風砂塵を卷く。頭痛岑々、倦怠感甚だし。地下鐵にて名驛に徃き、學會理事會に出席せしキムラタクヤ氏を松坂屋入口に迎へる。同行のH氏に三月來の久闊を詫びる。H氏所用ありとて須臾にして去る。高嶋屋内山本屋總本家に登りて飯す。氏は學内六委員會の委員をつとめるのみならず學外の役職尠からず、繁忙を極めること小泉首相も及ばざれ健康を案じてゐたりしが、顏色わろからず安堵せり。秋よりNHKラヂオ講座再放送の由。食後Flag's Cafe に河岸を變へ咖啡を喫し別れ初更歸宅す。